リリムジカ通信 vol.4 ~「ご本人に安心してもらえる場所でありたい」

 

【管】まずは吉田さんのご経歴を教えてください。

私が介護の仕事に関心を持ったのは、子育てをしている最中のこと。ある日、友人の家に遊びに行きました。彼女の家に入ると壁に本がずらっと。看護、介護の専門書。彼女は訪問看護の仕事をしているのでした。子どもが3人いるのに、すごい、かっこいい!折しも川崎市でヘルパー2級講座を無料で受けられる募集がありました。抽選に当たり、私はヘルパー2級講習を受講。平成2年のことです。

最初の職場は訪問介護でした。社会福祉協議会のコーディネータさんに紹介されて、利用者さまのご自宅を訪問。最初の利用者さまは、リウマチの女性の方でした。ご主人がやんちゃな方で、ボディタッチなど積極的にコミュニケーションをとってきます。それを見た利用者さまが気分を悪くして。担当のヘルパーが頻繁にかわっている利用者さまでした。私はとにかく利用者さまと仲良くなろう。そう思って彼女と日々接しました。その甲斐あってか、最後にはご夫婦両方と仲良くなりました。お料理を教えてもらったり、庭の大根を一緒に抜いたり。ずいぶんかわいがってもらいました。

訪問介護の仕事は楽しかったですが、不安もありました。訪問時はいつも一人。今の接し方で本当にいいのかな?そう思っていたときに、介護老人保健施設(以下老健)での募集をみつけ、私は働き始めることにしました。老健では一人ひとりに、介護計画がありました。私が訪問介護をしていたころには介護計画なんてありません。それだけでも驚きです。専門職の人たちとの仕事は勉強になりました。一方で、施設の都合で生活に枠がはめられていることに不自然を感じることも。今日は入浴があるからおふろの時間までパジャマのままでいいよね、とか。しかも職場のみんながその感覚に慣れてしまって、普通だと思っている。「私は浮いているのかしら」そう感じることがありました。

老健での経験で、グループホームや個別ケアに興味をもつようになりました。そこで、求人を探そうと新聞を購読。最初に見つけたのが陽だまりの家町田の募集です。グループホームだ!私はすぐに電話をしました。「写真も履歴書もないのですが、大丈夫ですか?」「大丈夫ですよ、明日いらしてください。」翌日写真の枠が空欄のままの履歴書を持って、陽だまりの家に向かいました。面接をしてくださったのが菅原一憲施設長。面接というよりも、私の話をウンウンと聞いてくださりました。訪問介護時代のこと、老健時代のこと。そして、棚から一冊の本を取り出し見せてくださりました。副題は「その人らしく最期まで」。「うちでは一方的なケアはしません。人がその人らしくいられる空間を目指しています。」“そうか、私の感覚と重なる職場があったのだ!”給料や条件も知らないうちに、私は働く決意をしました。

陽だまりの家町田 外観

 

陽だまりの家町田の理念は、函館あいの里総合施設長の林埼光弘先生の考え方を受け継いでいます。入社後に2週間、函館の研修に行きました。「スタッフは絶対に黒子」これが林崎先生の考え方。研修では片時も気を抜けません。たとえば私が食事介助をしていると、林埼先生が離れたところから見ています。ちょっとでも手助けをしすぎると、すぐにそれを指摘されます。「利用者さまの視界に入らないで」先輩スタッフの食事介助を横から見ていたときに、こう声をかけられたこともあります。食事中にほかの人が視界に入ると、利用者さまは食事に集中できないことがあります。今なら先輩スタッフの趣旨がよくわかりますが、当時は驚きました。研修では、今までできていると思っていた自分とそうでない現実のギャップに愕然としました。悔しくて何度も泣きました。しかしこの研修があって、私は”黒子”の考え方を体に叩き込めたと思っています。

 

● 陽だまりの家町田さんで工夫している点はなんですか?

過去にさかのぼって、利用者さまのことを知ることです。あるとき、歩きながら頻繁に右に曲がろうとする利用者さまがいました。職員一同、なぜだろう?と思っていました。そこで、ご家族の協力を得て自宅に訪問。すると、ご本人のお部屋からみて右側にトイレがあったのです。だから右に行こうとすることが多かったのか!トイレの配置を知ることで、利用者さまが右に行こうとした背景を推測することができました。トイレで言えば、もうひとつ。洋式の便器が合わない方がいらっしゃいました。この方の歴史をさぐってみると、農家のご出身だったのです。昔は女性もあぜ道で用を足していました。洋式のトイレがなじまないのも、自然なことでした。

 

● 音楽療法との出会いはいつですか?

私が音楽療法を知ったのは2009年の9月。町田市グループホームの活動発表会です。丘の家清風さんの発表を事務長の柚原と一緒に見ていました。利用者さま、スタッフのみなさんと柴田さんがトーンチャイムで「もみじ」を演奏。さらに、会場のみなさんと一緒に輪唱も。発表が終わってから柚原と話しました。「さっきの良かったね。」その後11月に柚原とリリムジカの管さんが出会い、12月に柴田さんと管さんがホームに来て音楽療法の説明をしてくださりました。それで、まずはお試しセッションをやってみよう、ということになりました。

 

● お試しセッションのときの印象はいかがでしたか?

柴田さんの利用者さまへの関わり方がいいなと思いました。いやみがない。高齢者との活動でときどき「さぁ、やりましょう!」という雰囲気をつくる方がいらっしゃいます。けど、私としてはなるべくホームの空気を変えないで進めてほしい。その点、柴田さんは自然に音楽がはじまる流れをつくっていました。お試しセッションはご家族にも見てもらい、納得をいただきました。定期的なセッションは今年の4月から始まっています。

 

● 音楽療法のある日に工夫していることはありますか?

音楽療法は毎月第1第3火曜日の午後に決まっています。音楽療法のある日は、朝から雰囲気をつくっていきます。「今日は午後から柴田さん来るよ」と声をかけてみたり、前日に送られてくるプログラムを一緒にみながら練習してみたり。曲目が話のネタになることもあります。音楽療法への流れをつくっておくと、利用者さまがスムーズにセッションに入ることができます。

 

● 音楽療法で印象にのこっていることはありますか?

普段から口数が少ないEさんという方がいます。お孫さんが楽器をやっているなど音楽になじみのある方です。この方がある日の音楽療法の後、お話になりました。「昔宝塚に行ったのよ」ちょうどセッションで「すみれの花咲く頃」をやったあとでした。

 

● 音楽療法に関して、スタッフからの反響はいかがでしたか?

正直を言えば、最初からスタッフ全員が乗り気だったわけではありません。私たちのホームの定員は9人。それに対しスタッフの配置は大抵3人。音楽療法の後の時間は夕食の準備のため調理場に1人、音楽療法の振り返りに1人スタッフが配置されます。そうすると残る1人のスタッフで利用者さま9人の対応をする必要があります。振り返りにはたいてい、30分~1時間くらいの時間がかかります。スタッフから「振り返りにスタッフがとられて、利用者さまがかわいそうだ」という声があがりました。ただ、ここでやめてしまっては意味がありません。私は振り返りをなるべくスタッフ全員が体験できるようローテーションしました。もうひとつは、振り返りを30分で行えるよう時間を区切ることにしました。これには柴田さんにも協力をいただいています。振り返りではついつい色々と話したくなる。しかし、メリハリをもって行う。結果、音楽療法について理解してくれるスタッフが増えていきました。

音楽療法で、あるとき利用者のMさんが、とてもよく歌ってくださったことがありました。曲は星影のワルツ。振り返りのとき、スタッフが柴田さんに伝えました。「この方は星影のワルツが大好きなんです。毎日何度も何度もお歌いになるんですよ。」そしたら柴田さんが次の回のセッションにも取り入れてくださった。「振りかえりでの話を覚えてくれていた!」スタッフは喜んでいました。「柴田さんはいつも一緒にいる私たちとは違う視点をもっている。話していて勉強になる」振り返りを実践したスタッフからはこんな声も聞きます。

 

● 音楽療法に関して、どんなことを目指したいですか?

音楽療法を行ったときの達成感は、いつも感じるところです。ケアプランにも「音楽療法を行う」と書いています。音楽療法で得た達成感を日常にどうやって反映していくか。それがこれからの課題です。音楽療法の”効果”、”ノウハウ”をリリムジカさんと一緒に確立していけたらと思っています。

 

● 施設での介護を選択することをためらうご家族がいらっしゃいます。吉田さんはどんなときにグループホームをおすすめしますか?

私はご家族が認知症だとわかった時点で、グループホームを選択肢に入れていいと思っています。介護について、必ずしも家族がすべてを背負う必要はありません。24時間ずっと一緒だと、本人だけでなく家族も参ってしまう。プロの仕事を入れて家族が一線を引いたほうが、家族にとっても本人にとっても楽な場合があります。それだけではありません。一人では食事がのどをとおらなくても、みんなで食べているとつられて口にする。こんな相乗効果もあります。

 

● 吉田さんの目指すグループホームについて、教えてください。

利用者さまが大切な時間を過ごす、いごこちの良い場所であること。これが第一です。先ほど星影のワルツがお好きなMさんの話をしました。以前、彼女が十二指腸胃潰瘍で入院したことがありました。3日間の入院のあと病院に迎えに行くと、顔がこわばっている。慣れない空間で不安だったのかしら。声をかけても打ち解けてもらえません。私は車の中、星影のワルツを歌いました。すると、ちょっとずつ一緒に歌ってくださって。ホームにつくと、利用者さまやスタッフが「Mさん、おかえりなさい」Mさんはぽろぽろと涙されました。こんな風に、ご本人に安心してもらえる場所でありたい、そう思っています。

その上で、私たちはご家族が入りやすい場づくりをしたいと思っています。ホームによく来てくださる利用者さまの息子さんがいます。彼は15分くらい立ち寄って、お母様の顔をみて、スタッフに冗談を話し、帰っていく。帰り際には「また来てください」という気持ちで見送ります。

また、私たちのホームでは過去10年間で5人の方を看取りました。ターミナル(見取り)を一緒に迎えたご家族とは絆が深まります。ご本人が亡くなった後もふらっと立ち寄ってくださるご家族が何人もいらっしゃいます。先日も一緒に看取りをしたご家族がお見えになりました。「うちの畑でとれたんだよ」そう言って梨を置いていかれました。陽だまりの家町田の主役は、もちろん利用者さま。その上でご家族とも、「陽だまりでよかった」と言っていただけるような関係をつくりたいと思っています。

 

※表示されている氏名、役職はインタビュー当時のものです。

(2010年09月20日)